私は私。あなたはあなた。


昨晩かかってきた電話で、そのご相談ごとを「ふんふん」ときいていて思い出した
【ゲシュタルトの祈り】

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du –
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なこと。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいこと。

 

この「私は私」というのは、相手の行動に期待した「甘え」ではなく。
(例えばうちの子の言う、つじつまの合わない「親は子供をもっと理解するべきだ!」と主張しながら「俺は俺だ!」といった、利己的なことじゃなく)
本当の意味での「私は私」は、他者が自分の思い通りに動かなくても「私のできる最大限はここまで」と潔く線引きすることができるということ。
本当の意味で、自分と他者との線引きができたとき「あなたはあなた」と、相手も認めてあげることができるのでしょう。

私たちは誰かに褒めてもらうために、認めてもらうために、愛されるために、生きているわけじゃない。
いつでも、どこでも、誰からも、受け入れなければならないわけじゃない。
たとえ人に受け入れられなかったとしても、そこで、自己反省や罰する(自己否定する)必要は全くないのです。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいこと。

私たちは出会いを「ご縁」と呼び、「出会える事」に価値があり、「出会えない事」は価値がないと捉えがちですが。
ゲシュタルト療法の創始者フレデリック・パールズは【出会えない事。それもまたよし】と
「出会えないことも、出会えることと同じように素晴らしいことなのだ」と言っています。
すべてをあるがまま、起きるがままに受け入れるということですね。

パールズの後継者であったプライス夫妻は

「今あるもの、すべてに出会う事。それが壊れているなら、治さない」

とも言っています。

壊れている=治すべきもの・正すべきものではなく。
今あるもの全てそのまま受け入れるということ。
自分に対しても、他者に対しても、何に対しても。
壊れている(と思えるもの)も含めて、悪い部分(と思えるもの)も含めて「これで良い」のです。

ただ起きていることに、あれやこれやと意味づけをして。
「良いこと」「良くないこと」と名前を付けているのは誰でもなくあなた自身。
そんなことはさっさとやめて、すべては流れにお任せ♪
なるようになるし、なるようにしかならないんだから。
大丈夫!すべては順調に行っているんだから!心配しない♪
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