執着を手放す…に想うこと

今日9月1日は新月。
このタイミングにお願いごとをすると、月のパワーが得られて叶いやすいと言われています。
(あんまり私はそのへんは重要視していませんが)
新たに物事をスタートさせたり、リセットするにもタイミングが良いとされています。
今回はさらに、日食も重なるというスペシャルな日だということで、放置しがちだったこのブログに「日々想うこと」などなど。
これから徒然に書いていこうかな~と思います。

新月はスタート、満月は手放し~なんていいますが。
今日は「執着を手放す」ということについて個人的に想うこと。

執着を手放す・・・
ということに!実は「執着」してはおりませんか?
ってことなんですわ (ややこしいですね 笑)

「〇〇に対しての執着を手放した!」
って、ホントは「ニセの決断」かもしれませんよ~。と思うわけです。

一度決めたことは断固!として守る!ことは潔く、とても立派に思えます。
一見、意志が強く、なんだか揺るぎない「正しいこと」に、見えさえするのですが…。
見方を変えればそれはただの「頑固」「強情」であり。
それこそ「守る!」ということに対する「執着」ではないのか?
と、私は思うわけです。
(もちろん本当に覚悟のある決断は、それは素晴らしいと思います)

例えば
「甘いものへの執着を手放しました!」
「たばこ・飲酒への執着を手放しました!」
「あの人への想いを手放しました!」

これが
「もう甘いものは食べない!」
「たばこ・酒はやめる!」
「あの人をもう思い出さない!」

だったらこれ「ニセの決断」であって「手放し」ではないと思うのです。

「甘いものは食べても食べなくてもいい」
「たばこ・酒、あってもなくてもいい」
「あの人…倖せにしているといいな~」

本当の手放しとはぶっちゃけ
「あってもなくてもいい」
「どっちゃでもいいわ~」の境地。コレですよ。コレ。

だから「手放しました!」宣言を公にしている人
それってまだ「それ」にこだわっていますよね?
と、思っちゃいます。
その「手放す!」それ自体!を手放しちゃいましょう 笑

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