迷ったら「やる」


「私はなにかを『やるか?やめるか?』と迷った時には、大抵『やる』を選択する

そんな話題が、教え子ちゃんとランチしているときに出ました。

私は迷った時には「アクションを起こす」方を選択するようにしています。

なんでか?

そもそも「迷う」ということは「選択の余地がある(どっちか選ぶことができる)」ということで。
実のところ本当は「どっちでもいい」わけです。

だって選択の余地がなければ、そもそも「迷う」ことはできませんよね?
選択できないんですから 笑(当たり前)

たとえば「新しい世界の学びに飛び込む」
やるかorやめるか?

とても興味がある。わくわくもする。
でも…本当に私にちゃんとやれるのか?なんのためにするのか?
そんなことをしてお金や時間は無駄になってしまいはしないか?

やりたいけど…さまざまなリスクが頭をよぎり…ブレーキがかかる。
私もあります。そういうこと。

でも「迷う」ということは、その学びにかける「お金」や「時間」はちゃんと「有る」わけです。
そもそも物理的に無理!な状況だったら悩み・迷う権利さえありませんからっ!笑
この「リスク」(と思っているもの)は、自分の経験や価値観から出来上がった、単なる「思い込み」でしかないのです。

だから本当は無意識レベルでは、やるもやらぬも「どっちゃでもいい」わけ。
脳みそ(思考)がゴチャゴチャ「やばいんでね?」って騒いでるだけで 笑

なんのためにやるのか?
「興味があるから」「わくわくするから」理由なんでそれでいいじゃない♪
「心」が望むことを選択するそれでいいと私は想うわけです。
ちゃんとやれるのか?
わくわくしてたら、楽しくて楽しくて、止められてもやっちゃうでしょ♪
それに「好きこそものの上手なれ」ってね。
好きでやり続ければ、磨かれて洗練されて最初には思いもよらなかった「何者か」になるかもしれない。
私は「ウェブデザイナー」「ジュエリークロッシェの先生」「セラピスト養成講師」と諸々資格をとって仕事にしてきましたが。
どれひとつとして「仕事にしよう」と思って学び始めたものはありません 笑
全部「面白い」「楽しい」から始めたものばかりです。続けてたら結果的に仕事になっただけ。

でも面白いことに「やる」を選択しても、思うように行かなくなったり、物理的に「無理」な状況になったりすることもあります。
そういう時は「あ~こりゃやるなってことだな。流れに逆らっちゃったな」と、潔く受け入れて、手放すようにしています。
執着は「苦」を作り出しますから。そこはなるべくあっさりと 笑
失敗したとは思わない。大きな流れ、力に軌道修正してもらったんだな~。と捉えます。
だからとにかく「やってみる」。
それでちゃんと「流れ」通りならうまくいくし、いかなかったとしても「流れ」からは反れることはナイ!のだ。
と、私は信じています。(私はね 笑)
ここ単なるポジティブシンキングではなくて
「自分では抗うことができない大いなる力」の存在をどれだけ信じ、信頼できるか?がkeyですね。

こんな話をしていて「不思議の国のアリス」のチェシャ猫の1シーンを思い出しました。
迷うときにはいつも脳裏によぎるシーンでもあります。
aliceillu1 (1)
“Cheshire puss,Would you tell me,  please, which way I ought to go from here?
「すみませんが、私はここからどっちの道に行ったらいいか教えてくれないかしら?」

That depends a good deal on where you want to get to.
「それは、どこへ行きたいかによるよ。」

“I don’t much care where”
「それがよくわからないの」

Then it doesn’t matter which way you go.
「なら、どっちの道を行こうと同じさ」

“Oh, you’re sure to do that,”
「どこかへ着ければいいの」

“if you only walk long enough.”
「そりゃ、着くさ。着くまで歩けばの話だけどね」
チェシャ猫キビしいーーー! 笑
でもこの「どっちの道を行こうと同じさ」と、
「着くまで歩き続ければ、どっかには着く」のセリフは、迷うとき私の背中を押してくれるんです。

コメントは受け付けていません。


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。