どうしたら息子がワクチンを打つことを止められるか?

リクエストでカラーセラピスト講座を開講しました。
(ご受講ありがとうございます)

カリキュラムのセッションレクチャーで、受講生さんがテーマとしてあげたのは「どうしたら息子がワクチンを打つことを止められるか?」というもの。

残念ながら、そのようなテーマにはお応えできません。
カラーやカードセラピーでそれをテーマにできるとすれば「息子の決断に対して湧いてくる気持ちと、自分はどう向き合えば良いのか?」というところでしょうか。

最近、セラピー系の講座でもですが、プライベートでも似たような相談をされることが増えてきました。
自分は「打たない派」だが、家族や恋人が「打つ派」で対立が起き、ぶつかり合っているケース。
(逆もあると思いますけどね。なにせ私が打たない派なので、同じ価値観のかたの相談が集まるわけです)

人間のものごとの選択基準は、正しい、正しくないと言うよりは「自分にとって何が安心安全か」によるものが大きいと私は思っています。
・ウイルスが怖い人はワクチン接種することが「安心安全」
・ウィルス感染より「人の目」が怖い人は、ワクチンを接種して多数派と一緒でいることが「安心安全」
・立場的な「義務」として、居場所を失うことの方が怖い人は、ワクチンは打ちたくないけど接種することの方が「安心安全」
・自分の免疫を信頼していて、ワクチンのリスクの方が怖い人は打たないのが「安心安全」などetc …

実は自分にとって何が安心安全なのか?が基準になっていて、ワクチン接種に関しては、科学的な論争に見えて、実は単なる「個人の価値観」「モノの見方」のぶつかり合いだったりします。
自分と違う選択をした人が、大切に思っている人であればあるほど「自分の思う安全」をなんとか!押し付けたくなるよね。
でも、その人が自分で決めた以上、その人の人生はその人のものであって、誰にも手出しできないよ。
悲しいかな、その人の「信念」は他人には変えられないんだ。
それは家族であれ恋人であれ。

その人に言わせれば、あなただって「自分の言う事を聞いてくれない分からずや!」なんだと思うし、お互い様。
もう「信じている安全」が決裂した以上、今できる最善は、「お互いに大事にしているものが違うのだ」と、認め合うこと。

そして、打つ、打たないどちらを選択するにせよ必要なのは「自分が選んだことなのだ」と、責任を持つこと。

それは、「打ちたくないけど、周りの圧力に負けた」人も同様。
「自分は周囲との調和を選択したのだ」と責任を持って、のちに「人のせいにしない」ことが大事だと思う。

私の友人には、リスクを十分に知りながら、家族の社会的な立場のため接種することを選択した人が何人かいます。
私は「打たない」を選択した者ですが、その友人達の在り方を私は尊敬します。
今のこの混乱は、それぞれが自分で選択をすること、そして他者との価値観の違いをお互いに認め合うことを人類(日本人?)のレッスンとして突き付けているのではないか?って、個人的には想ってます

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